2013年2月18日月曜日

宮城県にいってきました


宮城県にボランティアをしに行ってきました。
アルバイトをして、夜行バスに乗って次の朝に到着。
それから地元のお手伝いをして、廃校になった学校を改装した施設に泊まり(温かかった)
昨日の朝からまたお手伝いをしてお昼すぎに出発、昨日帰ってきました。

ずっと行きたいと思っていたのですがなかなか時間が作れず
やっと行ってきました。

一番印象的だったのは海の綺麗さです。



澄んだ青。
今でも海は愛されています。
人々に恵みもくれます。


あと、気仙沼の方に登ると雪が!
関東の雪と違ってさらさらのふわふわ。積もるときゅっと固い。
すごく綺麗でした。




今の宮城です。南三陸町。
大きながれきはほとんど片付けられていますが、まだ細かいガラス片や海水の塩
なんかが土にある状態で畑や田んぼは作れません。
それ以前に地面を底上げしなきゃ行けないところもたくさんあるので
更地が手つかずの状態です。



防災対策庁舎
ボランティアのバスが、献花台のある何カ所かで止まって手を合わせる時間をくれました。
ここは、ここの職員の人たちが町民に避難呼びかけをしたところです。
一人の女性職員24歳の遠藤さんが最後までここで呼びかけ続けたそうです。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya.html



ここは元々廃ホテルだったから幸いにも人は居なかったみたいです。
この建物のもっと沖が砂浜だったらしいです。


ほとんど手が付けられていない状態の高校。
学校の避難マニュアルでは3階に避難させるようにとあったのに先生がとっさの判断で生徒たちを屋上へ避難させて多くの生徒が助かったそうです。



お手伝いしたわかめ漁をしている家族。
当時の様子も話してくれました。
今困っていることとか、実際に聞かないと分からないですよね。

大きな防潮堤を海に作ることに地元の多くの人が強く反対しています。
なぜかというとみなさん理由は同じで、海の景観が損なわれることと津波が来たときに見えないから。
でも、ここで話を聞かなければニュースで「政府が宮城県に8mの防潮堤を作りました」と報道されたときに「政府は動いてるんだなあ。」となんの疑問も無く思ったと思います。
あのとき、津波は最高14mにも達したそうです。

あとは住む家の問題。
仮設住宅から出て自分の家を持てる人は3%くらいだと聞きました。
大きな自然に囲まれて大きな庭のある大きな家に暮らしていた人たちがとても狭いところに住んでるのはとても窮屈そうです。






LSAというボランティアツアーに参加しました。
この団体は、本当に地域に密着していました。
スタッフの人を本当に尊敬します。
色んな人とお話も出来てそれぞれの想いを聞かせてもらったりできて
とてもためになりました。

ボランティア初心者の私に先輩が教えてくれた
ボランティアをやるにあたって
とても重要でこれを読んだ方の胸にも置いてほしいことです。


1わすれない
2つたえる
3つづける
4むりをしない


つづけるために、わすれない
つづけるために、むりをしない
そして伝える。

このことがとても大切。

現地にいかなくたって出来ることはたくさんあります。
節電だって、節水だって、回り回ってためになるかもしれない。
募金だって出来る。



時が経つに従って、報道がなくなっていき
それと一緒に気持ちも薄れるのは寂しいことです。


同じ日本人。
被害に会った人たち、今苦しい環境の中でも
たくましく明るく暖かく生きている人たちの心に

寄り添いたいです。


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